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8月は「サマーワイン」

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8月になりました。

8月のテーマソングは何にしよう?

先月、7月1日に、ユーライヤ・ヒープを取り上げた時、「来月8月のテーマソングは何に・・・」と言ったもんだから。


ところで・・・
アチキの中学~高校時代、田舎では唯一のFM放送はNHK。
そんで海外の音楽を幅広くアチキに啓示してくれた番組が・・・

あの石田豊さんの名調子でおくる名番組「リクエスト・アワー」でした。


日曜の夕方、5時55分くらいには、ラジオの前に座り、オープンリールのレコーダーを準備しこの番組を待った。

6時とともに流れるビリー・ボーンの「真珠貝の唄」とともに「こんばんわ、石田豊です」と始まるこの番組には多くの曲を教わった。
(毎週ハガキを読まれていた、ペンネーム・のっぽのサリーさんはご健在でしょうか?)

「今回はポピュラー・ヒットパレード・・・・・」とか、
「リクエストアワー・・・」など様々な趣向があったけど・・・特に好きだったのは、「テーマ特集」

「色が入った曲」ならば・・・
恋は水色(ほとんどポールモーリアの演奏のほうだった)
青い影(プロコル・ハルム)
白い恋人たち(フランシス・レイ)・・・・などなど。

「梅雨」の時期なら・・・
雨を見たかい(C.C.R)
雨(ジュリオラ・チンクエティ)
雨に消えた初恋(ごぞんじ牛も知ってる・カウシルズ)・・・という具合。

そんな中、毎年、「夏」のテーマになるとかかるのが、
ナンシー・シナトラの「サマー・ワイン」

この独特の曲調と、うまいんだかヘタなんだかわからんナンシーのボーカルと+男性デュット。
一度聞いたら、耳についてしまう(へんてこりんな)曲。
でもきれいな曲とは思うけど。

この「サマー・ワイン」を8月のテーマ曲に決定しま~すぅ!

CDご希望の方は、
住所
氏名
年齢
職業
あなたの推薦する8月のテーマ曲を明記のうえご応募ください。

当選発表は発送をもってかえさせていただきます。

(追伸:例により、送る気など全くありません)

よくやった!荒川区。

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アチキはこー見えても「荒川区民」です。(出身は新潟です)

7月27日の「みのもんた・朝ズバ」での放送で、

みのさん: 「東京23区のなかでも、未だ議員さんの給料を日割りにしていない区が3つもあるんです。」

「いいですかみなさん。他の区はやってるのに、荒川区と・・・・・・・の3つの区が・・・」

「もう一度言いますよ、みんさん。 荒川区と・・・・・・・・・」


との報道があった。

そして翌7月28日(次の日~ぃ)のまたまた朝ズバ。

みのさん 「ここで訂正とお詫びです。昨日、まだ議員の給料を日割りにしていない区を「荒川区」とお伝えしましたが、荒川区はすでに日割りにしています。お詫びして訂正いたします。荒川区のみなさんには、まことに・・・・・・」


そーか。
荒川区えらい!

ところで荒川区長といえば、言わずと知れた、西川太一郎氏。(知らんワ。区民でさえ)


昨年12月、三男Aが「エコポスター」で表彰された。(ピンとこない方は12/3のブログをご参照ください)
この時に、総評でスピーチをくださったのが、この西川太一郎区長ダ。

「エコ事業として、みなさんの荒川区は、こーしてる・あーしてる・するつもり・・・」と、中学生にとっては、ほとんど拷問のような長いお話をしてくださったそーな。

そして目線は表彰された中学生から同席の父兄に移り。

「荒川区は・・」から「わたくしは・・・」といつのまにか変ぼうし、
ほとんど選挙演説になっていったのは、至極トーゼンである。


「○●市とも協力して、あの・・ほら・・その・・・(←ここで秘書が助け船の小声有り)」・・と徐々にあやしさを増し、

「□△区とも共同事業で・・・えーと・あのー」とかなりせっぱつまったご状況。

そしてトドメに・・・
「おじさん。最近忘れっぽくなっちゃってサ・・・」
(言っちまった。)


緊張の続いた中学生は失神。
父兄(←有権者)は失笑。


とにもくにもヤタラ印象づけた区長でしたとさ。(でもイー人だ。・・とフォローさせてください)

平和な区ダ。


区長さん。これからも区民のため、ガンバッテください。
(次回選挙で入れるか否かは明言を避けます。このブログは政治・宗教に距離をおきま~す)

本日の持田香織先生。 1年4ケ月経過

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歯の矯正・定期検診の今日。

「持田香織先生」に診て頂きました。


すでに矯正もクライマックス。

上下にひっかけ器具をつけて「輪ゴム」で歯を動かすって寸法。

なのだが、どーしても付け忘れる。


・・これは先月のお話・・

M先生 「う~ん、あまり動きませんでしたネ。毎日輪ゴムはつけましたか?」

Y(アチキ) 「時々忘れたり・・・ぃ。(ほんとはしょっちゅう忘れた)」

M先生 (あまり成果があがってないのはバレバレ) 「なるべくがんばって付けていれば、治療も早く終わりますからね。(だめじゃなぁ~い。ちょんとしなきゃ。今日から、・・約束ヨ)」

この「治療も早く終わる」で一気に改心。

一日でも早くこの矯正器具にサヨナラをしたい。→1ケ月、アチキなりにがんばった。

ほんでもっての本日。

Y 「自分でも動いてきたのがはっきりわかります(がんばったでしょ的)」

M先生 「・・・・・・・・・・」

そして治療開始。

M先生 「今回は(おしおきとして)一回り太いワイヤーを入れていきます」

先生にとては不満だったらしい。
締め上げる力の強いことったら・・・


今回の治療でのアチキの楽しみ「噛んで~ぇ」は3回でした。(どーでもええわい)


まだまだ時間がかかる・・・・らしい。(おーヤダ)

次男坊って。・・・わかりやすい。

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「お金くらしゃ~い。(お金ください)」と夏休みの次男R。

「友達と映画に行ってまいりま~す。ですからお金くらはい」

なんでも朝「映画行こう-ヨ」(高二にもなって「トイ・ストーリー」かよ)とメールが入ったそーな。


そっからがいそがしかった。

ありとあらゆる持ってる服を着ては脱ぎ。

ファッションショーよろしく、部屋から出てくる度にちがう装い。


シューシューと数十秒にわたり、愛用のギャツビーのデオドラント・スプレーをかけまくり。

いつもボサボサのくせに・・・

髪を洗い

使ったこともないドライヤーで乾かし

塗ったこともないムースで髪をセットし

念入りに歯磨きをほどこし・・・ってことは

結論=女の子にちがいない。


なんてわかりやすい子なんダ。「次男坊」は。

しかし日頃から「父親似」をアチキ(実は二男)と認め合う二人。
・・・そうなるとアチキも(カミサンにとって)「わかりやすい男」ということになる。

つまりオネーサマのお店から帰って、「いやぁ~まいったよ。今日のお客さん、飲むのむ・・」
なんて「よせばいいのに」的な言い訳は、・・・

みんなお見通しってワケか。

気をつけよう。(断じて手遅れ)

上野下アパート

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用があり・・・
銀座線・稲荷町まで自転車を漕いだ。

㈱童心からその目的地までは、地下鉄で1駅。

炎天下のなかだけど・・・料理の道具街・かっぱ橋を渡り、お寺だらけの「松が谷地区」を通るのはキライではない。

清洲橋通りも渡り、細い道に入ると・・・
「んっ?なんだこれ?古! まるで表参道にあった同潤会アパートだ」

しかもまだ人が住んでいる。


はい正解は:やはり「同潤会・上野下アパート」でした。

なになに・・・1929年だから昭和4年に建てられたアパート。
同潤会は関東大震災後に発足した財団法人。
東京・横浜に最初期の鉄筋コンクリート集合住宅を造った・・・そうな。

当時としてはめずらしかった、エレベーター・食堂・共同浴場・談話室だけでなく、屋上にサンルームが完備したものも造ったらしい。

電気・都市ガス・水道・ダストシュート・・・これら最先端の設備もこの同潤会が先駆者だったらしい。

その今や廃墟すんぜん(失礼)のアパートに未だ住んでる人がいるとは・・・。

都内にもかなりの建物が残ってるらしい。(Wikipedia、見てね)


車でなく自転車での移動、しかも路地や小道中心。

まだまだ発見がありそーだ。

我家の通信簿と「ゆかり」

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夏休み・・・といえば(その前に)通信簿。

我家の三男Aも、その通信簿を持って来た。

来春は高校受験のA。
さすがに「オレ、ヤバイじゃん」と考えたらしく・・・
A 「なんか進研ゼミでもやろうかな」  とおっしゃる。

この後のバッシングがすごかった。

長男 K 「オメエ~、なんかへんな問題集いっぱい持ってんだろ~よ~」・・に始まり。

次男 R 「オレ書き込んじゃったのでよけりゃあるヨ」という意味なし斡旋。

カミサン 「この前の英検3級・問題集、やってたの?(Aは3級、あえなく1回戦敗退)」・・・と過去のほじくりだしまで出るありさま。

こうなると当然、

「いいよ、いいよ、もう----ぅ」というイジケモードになってしまう。


視聴者のみなさま、感想はいかに・・・・?

「ひどい家族。せっかくやる気になっているのに」・・・ありましょう。この意見。

「子供の教育上よくない家庭だワ」・・・専門家なら出てきましょう、このアドバイス。

「買ってあげな~。なんだったら私、払うから」・・・う-ん、彼のおばあちゃん(アチキの田舎の母)がいかにも言いそうな台詞ダ。


でもみなさん、わたしたちにご理解を頂戴したい。

この一連の会話中、
三男Aは、一瞬たりともプレステから目を離すことはなかったのであ~る。


アチキはこの愛する三男Aをこうみてる・・・
「彼にとって、1学期の成績なぞ、すでに過去の産物ダ。オレには前に進むしかない。と彼は思っているハズだ。」・・・と。(んなワケね~だロ)


昨晩も(おそらく)2時ころ、ムックリ次男と二人で起きてきて、台所でゴソゴソ。

二人の好物・「ゆかり」をご飯にまぶし、にぎりめしをほおばった形跡を、朝、カミサンが発見。

「食べたら、皿を水につける~ぅ!。飲んだコップも流しに持っていく~ぅ。「ゆかり」を開けたらちゃんとチャックを閉める!--(怒)」

・・・と寝起きから血圧を上げていた。


うーん。平和な我家。

フィアット・チンクェチェント

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この秋、「フィアット500(チンクェチェント)」に、875CCの2気筒モデルが登場するそうだ。
(この車前身のモデルはルパンⅢ世が使用)

イイ響きだ。

こんな(アホな)車を待っていた。(画像1はそのエンジン)

なんてったって中型バイクのエンジンがドーンと車に乗っかってしまった感じ。
コンパクトなエンジンだから、あまった隙間に何入れましょう・・・って、このメーカーほんと何かしそうで嬉しくなる。

いかもターボを積んで高出力と経済性を両立させる、このエンジンはブン回してナンボ・・・ってラテン野郎(失礼)の意気込みが感じられる.

加えてほんとはギュンギュン回して楽しみたい技術者が、ムリヤリ「経済性」をくっつけて役員のハンコ(あっちはサインか)をもぎ取った・・感じがして、またまた楽しくなってしまう。

まぁ、ほんといえば「2サイクル」といきたいところだ。

「2サイクルエンジン」・・・といえば、
画像2を見てちょんマゲ。

これぞ天下に名をはせた、「スズキ・フロンテ・クーペ」さまダ。(クーペじゃなきゃ。普通のフロンテは凡なデザイン)
なにを隠そう、この車はおよそ28年前、初めて車検証に私の名が載った。つまり初めて所有した車ザンス。

この車の特徴は、
・ほんとにバイク用水冷・360CC(当時の軽は360CC)2サイクルエンジンを搭載
・なので循環オイルじゃなくて「燃焼オイル」を使用。ガソリンにオイルを混入させて燃焼させるため、ガソリンの給油と同じで、オイルタンクにオイルを継ぎ足すシステム。
・オイルも一緒に燃やすから、排気ガス→モクモク。今なら通報もの。
・けどなぜかこの排気ガスのファンは多い。フロンテやスバルサンバーなどのモクモクにうっとりしたオールドファンも多いハズ。
・なんたってバイクのエンジン。9000回転くらいまでまわる。
・RR(リアエンジン・リアドライブ)。つまりポルシェと一緒。オツ!
・イタリアのジウジアーロが手がけた今見てもカッチョイイデザイン。
・極小住宅もまっ青の狭い室内・・・なんだけど(運転席と助手席は)レーシングカーのように、ほぼまっすぐ足伸ばせるのでラクラク。
(逆に言えば、前バンパーのすぐ後ろが足。ぶつかったらどーすんだろうね)
・2サイクル、きわめてトルクに乏しい。よってスタートは3500回転まで回してクラッチをつなぐ。(レーシングカーのスタートのよう)
・まとも加速するのは4000~6000回転。そのため常にシフトチェンジを繰り返す。
・当時軽自動車・最速の1台。

今なら運転できん。おそらく。

さすがに見なくなった。
あの当時でも・・・そんなに見なかったシ。

なんの話しだっけ。

そうチンクェチェントの2気筒エンジンだ。

こんな車(もちろんオープンにして)、スーツにネクタイ、ルパンを気取るのもイキだ。

がんばれ松岡修造・その3(最終回)

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すばらしい4日間だった。

遼くんだけのおかげでなく。
ましては未だ調子のでないタイガーのはずもなく。
(失礼ながら)優勝した、L・ウェストハウゼン(南アフリカ)でもない。

他ならぬ、ゲスト・ラウンドリポーター:松岡修造さんのおかげだ。


2日目以降、下ぶくれ森下アナから一切フラれることがなくなった、あのウィンブルドン・ベスト8に決まった瞬間、走り周り寝ころんで喜び、日本のファンに感動を、そして観衆にひんしゅくを送った、あの修造さんだ。

最終日終盤にも、泣かせるやりとりを解説者面々に仕掛けてきた。

修造 「僕には遼さんが、すでに次の試合を見据えているように見えるンです」

・・・・・・・・・・・皆、無反応。(約2秒)

このまま沈黙が続くと「放送事故」になると察知した、世界の青木 功 「けんどね。やっぱりその目の前にあるプレーに集中・・・(以下あまりにまっとうなご意見なので割愛)」


結論:アチキは大好きです。松岡修造(のラウンドリポート)

・・ただ139回を迎えた「全英OP」には少々熱すぎる。

次回はゴルフでなく・・・

「30人・31脚」での活躍をお願いしたい。

不意をついて「はじめてのおつかい」の実況(尾行)もオツだ。


唐突だけど・・・その昔、沢口靖子さんと噂になったとき・・・
大勢集まった報道陣を前に、彼のお父上(東宝株式会社の会長)は言い切った。
「そんじょそこらの二流テニス選手に映画界の宝を渡すわけにいかん」

このたった一言でさすがのリポーター陣も、だれも質問できなかったことを思い出す。

さすがお父さん。
息子のことをよくご存じ。(←どーいう意味?)

がんばれ松岡修造・その2

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すごい風。
全英OP・セントアンドリュースは、やっぱりすごいコースとわかる。

さあTVは、

下ぶくれの森下アナ。
世界の青木 功。
世界のレフティ(と呼ばれた)羽川 豊。

・・・で(ゴルフファンのクレームもなんのその)ラウンドリポーターは松岡修造だ。


初日と同じく・・・
どんなキンパクの場面でも・・・修造は入り込んでくる。

それまで羽川がテクニック満載のリポートをさえぎり・・・

修造「パットのフィーリングというのは、そんなに変わるものですか?毎日変わるものですか?」
-----------約1秒の沈黙-------------

世界の青木「(フンッ)ホールごとに変わるヨ」with しょーがねーな的お相手。

修造「へ------------------------------えっ」(もっと長かったかな)

などは序の口
修造「寄ってます。寄ってってます。イョシ!ヨシ!!」

相撲のリポーターなら盛り上げ可能。
修造なら、今たいへんな相撲協会を救うかもしれん。

今日もTV朝日は「苦情」で大忙しかもしれないけど・・・アチキは好きです。松岡修造のいるスポーツ番組は。

ただ。
だれでも「さん」付けの松岡さん。

「遼さんが今・・・」

「遼さん」だけはやめていただきたい。ほとんど「こち亀の両さん」になっている。

やはりリポーターなら「石川選手」とか少なくとも「遼くん」にしましょうよ。

もう手遅れだけど。

2007年7月16日

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昨日で3年たった。

新潟の中越沖地震発生から。

アチキの故郷・柏崎市を中心に起こった大地震から・・・もう3年か。

建物全壊1319棟。あんな小さな街なのに。


死者は15名。
ニュースにもおおきく取りざたされた「最後の行方不明者」の発見は、猪俣さん。この方(愛称:ペギラ)はアチキの高校時代の体育教師だった。

新潟は地震が多い・・・と昔から感じていた。
子供~高校まで、地震なんかしょっちゅうあった・・気がする。
亡くなられた方々のご冥福を改めてお祈りします。

不謹慎だけど・・・ちょっぴり不思議な震災だった。

・1300棟が一瞬にして全壊にしては、多くの人が助け出された。

・火事がなかった。火災は「原子力発電所」のみという・・これは逆に大失態。

・ひとつ前の大地震・2004年の中越地震は被害こそ少なかったものの、停電・電話不通はまる2日くらい。(なぜかメールだけ通じる瞬間があったが)
けれどこの中越沖地震は甚大な被害だったが、実家の電気は数分で復旧。携帯電話は短時間で復活した。

・みんな立て続けの地震のせいか、落ち着いていた。母はひっくり返ったTVを起こしたら余震でまたひっくり返った。→「頭に来たから、転んだTVを横になって観てる」と豪語した。

・即日、水を送ろうとヤマトさんに相談したら、なぜか「おそらく大丈夫だと思います」と即答してくれた。

・・・それと1964年の新潟地震。阪神、関東、中越、中越沖と、おおきな地震の日は・・・晴れている。


今ではすっかり復興したアチキの故郷に震災の爪痕を見ることはないけど・・・。

話は変わるけど、
オール電化とガスぱっちょなる2大エコの「電気」と「ガス」がよく比較されるけど・・・
この地震を見ると思う。
(一番)電気はうまくすると数分で復旧。

(二番)水道の復旧には約1ヶ月。

(最後の最後)ガスは完全復旧までに3~4ヶ月。

これを考えると・・・ガスに「発電」まで頼っていいのか? と感じる。

東京は災害には強いけど、備えなきゃね。

昨夜も「松岡修造」・・・出てたナ。全英OPのレポーターに。
今夜もゆっくり観るとするか。