オリジナルぬいぐるみと雑貨・(株)童心のホームページ

更新も「夏バテ」

ファイル 306-1.jpg

アチキの(くっだらない)このブログ、今月・8月の更新はこれで11回目。

とうとう昨年4月からの16ケ月で「最低記録」を更新しつつある。


だって・・・・・・

暑いんだもの。

ネタなんか浮かんでこないし。

今日も持田香織先生・定期検診日だったけど・・・

うまくアチキの矯正中奥歯もイマイチ移動距離が少なく・・・機嫌ワルソーだったし。

(*これは暑さで輪ゴムも伸び加減だったのも原因ダ・・・・と勝手に考える)

午後、工場のF社長に電話すれば・・・
F社長 「昨日、銀行のゴルフコンペでさぁ。軽い熱中症になったみたいで・・・」

その昔は「熱中症」なんて言葉もなく、バタバタ倒れる若者を「貧血」という、どことなく根性なしみたいな響きが有るひとことで片付けていたもんだ。

そーいえばカミサンが言ってた。
小学校5・6年、そのころから身長は170cm近くに達し、体がその成長についていけず、よく朝礼で倒れた・・・と。

今倒れられたらタイヘンだ。

1人では起こせないかもしれん。

このままあの原因不明の肥満症が進むと・・・・
倒れたら→起こすのに→クレーンが必要になるやも。(映画ギルバートグレープのお母さんみたいに)

まっそこまではないか。


本日18:30より「暑気払い」で飲み会です。(今月十数回目の暑気払いですが)
明日からは出張。
早起きサ。

皆さんも体には気をつけて・・・。

ち△こ・うさぎ

ファイル 305-1.jpg

このことを・・・・

書くべきなのか・・・

ためらった。


けれど近所のことだし・・・
やはり伝えなくては・・・ち○こうさぎ。



台東区と荒川区を分ける「明治通り」・泪橋交差点と白髭橋の中間くらいの信号の台東区側。





川崎市から荒川区に引っ越して数ヶ月後・・・
最初にこの・ちんこうさぎ・を見つけたのは、一家5人、車でここを通った時。

これを見て・・
三男A=大爆笑
二男R=爆笑
長男K=驚き+やはり爆笑
カミサン=もちろん爆笑
アチキ=「まさか・・」+失笑
・・・つまり車が揺れるほどの爆笑の渦。

よくよく見て見ると「いたずら」ではない。
この地区(山谷)は壁にらくがきするほど・・・住所不定の方々はヒマじゃない。

悪気はなかったのだ・・・と思う。(描きたした形跡もない)

地域の園児もしくは小学・低学年のこどもにとっては、立ち上がったウサギに・・・

ごくごく自然に垂れ下がる・・・・・

「尻尾」なのダ。


「まぁ~かわいく描けたわネ~」なんて誉める引率の先生の笑顔がまぶしい。

・・・つまりは、
純粋無垢な子どもたちの描写に・・・見守る大人も「ち○こ」なんてものに映るワケがないのだ。

あくまで、日頃家族で「カンチョーごっこ」をやっているよーな、我家の目線、程度、レベルなのだ。



スカイツリーのいただきも雄壮なこの地区。

新たな名所として「るるぶ」にも薦めていきたい。(←載せるワケねーだろ)

全中 水泳

ファイル 304-1.jpg

あ----------------------------------------------------------------------------------------------------あっと。


新潟明訓が負けてしまった。(オシイ!!)

さぞ、準決勝にむけ、新たな「募金振込用紙」を手にして観戦の水島新司先生もガックリだろう。


これも、昨年・新潟県勢初の「準優勝」がなかったら、大きな期待もせず。
敗戦ショックも軽微だったハズ。
新潟明訓ナインのみなさん。

初のベスト8、オメデトウございます。
ほんとお疲れさまでした。


・・・ってことは、もう楽しみがないぞ・・・

イヤあった。
「全国中学水泳選手権」

アチキは「インターハイ」より、この中学選手権放送を好む。(←ロリコンじゃなくってヨ)

とくに昨年はすごかった。

中学生なのに、先に行われた高校選手権の優勝タイムを上回る優勝タイムが続出。
いったいロンドン・オリンピックはこの子ら、いくつメダルを取るんだ?
・・・・なんて、嬉しい期待をさせてくれる。

かと思えば・・・・・・・
女子の自由形:50mと100mの中学記録は未だ、源 純夏さん(選挙、出なくて正解でしたね)の記録が破られてない。(1994年)

同じく自由形、200mと400mなんかに及んでは・・・
千葉すずさんときたもんダ。(なんと1991年)

女子・自由形の女の子は、こんな「亡霊」を取り払うことに20年を費やしてる。

でもって、男子のバタの記録とくりゃ、モントリオールなら(古!)優勝タイムじゃい。


8/21~23の3日間、広島で行われるんだと。


選手のみなさん。
がんばって!

帰りにちゃんと「平和記念公園」に行ってネ。

かんばれドカベン・・・いや新潟明訓

ファイル 303-1.jpg

あっ。
勝った。

新潟明訓。

本来なら、今朝の新潟日報の一面は・・・
「新潟明訓破竹の勢い!・福岡代表、西日本短大付属を破る。」・・・と飾るワケなんだが。

なんにせ(なにしろの新潟弁?)、昨年の日本文理・準優勝のおかげで・・・

「新潟明訓・ベスト8進出」という中学生でも考えそーなフツーの見出しくらいかもしれない。(未確認)


明訓と聞けば、やっぱり神奈川代表と思う人も多いハズ。
なんたってドカベンの高校だもの。

水島新司先生は新潟市出身。
家庭の事情で新潟明訓高校にいけなかった思いから、この野球漫画の高校名に使ったそーだ。

新潟明訓が甲子園初出場の時(今回は6度目・・・かな)、さかんにインタビューされていたのを記憶している。
出場の度にいっぱい寄付してんだろうな。なんて邪(ヨコシマ)なことをつい考えてしまう。

①ファンの期待に応えて、1番バッターは葉っぱをくわえてもらいたい。
②ピッチャーは(ムリヤリ)サイドスローで投げていただきたい。
③キャッチャーはトーゼン柔道にもたけ、能力でなくビジュアル的にドカベンに近しい選手をえらびたい。
④元気なのに1人松葉杖でバッターボックスに立ったり。
・・・・・まっ、こんなことやってたら甲子園なんか出れないけど。

ならば最低水島先生デザインのドカベン・ワッペンを腕に貼るとか。←高野連が許すわけないか。

高知代表・土佐丸高校は土佐犬をグランドに連れてきたり、スパイクを磨いでいたり。地方色・・いやドカベン色満載のパフォーマンスもオツだ。


今回初戦の相手京都外語大西はもちろん京都代表だから、NHK・アナウンサーも「漫画・ドカベンでは明訓は京都代表・弁慶高校に負けています!」とかなんとか言ってサービス精神を発揮してもらいたかった。

ベスト8か。
いつから新潟代表って強くなったんだ?


がんばれ!ドカベン・・いや新潟明訓。
新潟人の言い伝え「杉と男は育たない」をぶっ飛ばしてくれ。

下関・長府

ファイル 302-1.jpg

ファイル 302-2.jpg

ファイル 302-3.jpg

ファイル 302-4.jpg

ファイル 302-5.jpg

ラウンドも2日目。

下関で2軒の雑貨屋さんをまわり、関門海峡沿いに車を走らすと・・・

対岸に「門司港レトロ」が見える。
タイガーならドライバー3回で到着しそうな近さ。

「そーか。渡ってしまえばTEFUTEFUさんにも行けるナ」と思いつつも、広島に戻る時間を考慮し、長府へ。

KanaKanaさん付近に着いたものの、車をとめる場所がない、少々山側にあがるとよーやく駐車場が。
ウワー歩くナー。暑いのに。

ところがこのミニ散策が・・・

城下町・長府←アチキにとってすばらしい発見だった。

蛍も生息する小川。

すべての家がゆったりし、町並みを整えている。

和風民家のおもむきを残したまま「Cafe」や「雑貨屋さん」があちこちにある。
こんなところ・家に住みたい。


知らんかった。
こんなステキな街が下関市にあるなんて。
(もっと有名になってもイーじゃないか?・・・ん?アチキが知らんかっただけ?)


長府の街にしあわせな気持ちをもらい、新下関に向かったわけです。

今回の出張(旅行?)の収穫のひとつ。


ちなみに下関-広島空港間は約200km。
昨日の台風雨もピーカンに変身。

不可欠な水分・パコパコのボトルで飲みにくい、ミネラルウォーター「いろはす」(これ水だからOKだけどコーラなど色がついてたらたいへん)を10分おきに含みつつ、広島に向かいましたトサ。
広島発18:00発のANA・・・結局20分遅れの出発。


少々思ったことあり。
これからに生かせるとイイけど。

家に着くと、次男Rがなぜかアチキのケツをポンポンたたきながら(意味不明)出迎えてくれました。

ちょっとゆっくりすっか。

広島

ファイル 301-1.jpg

ファイル 301-2.jpg

弊社の夏期休業は11日から15日までです。

子供たちが「合宿」だったりするので、「帰省」はなし。

じゃーネタ探しに繰り出すか・・・・
普段なかなか行けない中国地区にしよう。

で来たのが、広島です。


でもお店をまわる前に・・
この街を訪れたら、やはりここに来なくては。


平和記念公園

2度目の来館。

1発の「核爆弾」がいかに大勢の人を長く不幸にするのかを、そして平和とは何かを「考えてみてください」と語りかけてれる、まさしく世界の誇ることの(この表現が正しいのかわからんが・・・)できる、すばらしいテーマ館だ。

入場料は大人¥50。

この金額までも「考えてみてください」と語りかける。


ただ単に「平和」をうたったものでなく、「こうなった歴史がありました。私たち(広島市民のみなさんと被爆者の方々)はこの館で、歴史を忠実に再現だけします。・・・そして後はみなさんで思うところをまとめてください」と言われてるように、アチキは感じる。


数年前も夏だった。
その時より、外国人の来場が極端に多くなっていた。

以前、館内で若い黒人の方が、ガイドをイヤホンで聴きながら「泣いていた」のを思い出す。


いつか息子たちも連れて行きたい。
それは日本人の親としての義務に近いと考える。

出口あたりのパネルは・・・
「翌年、75年は草木も生えないといわれた被爆した土地に、若い芽が出てきた」と、がれきのスキマから生え出た1本の草の写真がある。
出るにあたり・・・少々救われるような。

記帳ノートを見ると、
若い子たちの字では「LOVE & PEACE」などの言葉が踊る。
年配とおぼしき方々の記述は圧倒的に「ご冥福をお祈りします・・・」が多い。

あらためて・・・
この原爆により、亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。

ドトール・スクラッチカードを当てるには・・・。

ファイル 300-1.jpg

ドトール・コナコーヒーが我家の「好物」であることは・・・
お伝えしたとーり。(2009.7.16)


今ドトールさんはキャンペーン中。

スクラッチカードをコーヒー買ってくれたお客さんにくれる。(多分¥500毎1枚づつ増える)

コナ・コーヒーは約¥1000。
いつも2袋づつ買うから4枚もらえる。

10個の中から「エイッ」っと3つこすって→同じ商品名がでたらそのものと交換できマス。

う~ん。
かなりしんどい。

だって1枚に3つあるのは1つの商品のみ。
ピンポイントで選ぶことになる。


そんな悩むアナタに朗報です。


<手順(4枚手元にあるとして)>
①1枚をほか3枚のために犠牲にしましょう。つまり10個すべてこすってしまいます。

②このカードから出てきた3つの場所と同じ場所の3箇所、のこりすべてのカードをこすります。

③どーいうわけだか、複数でお店からもらったカードは同じパターンである確率がきわめて高い!

④当たったカードを持ってお店にいきましょう!

7月中旬、これで当てに当てたたアチキは・・・・・
「さすがオレ・・」などとナルシスト全開でいたもんです。

・・・・それから1週間後の7月の下旬・・・・・・・・

カミサン 「私って天才!ドトールのスクラッチ、当てる方法見つけちゃった」

アチキ 「それって・・・まさか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


結局、みんな気づくんだ。
アチキだけじゃないのね。


以上、「ドトール・スクラッチカード」に関する、とっても得する情報でした。
このキャンペーン、明日の配布でおしまいです。

念のため、もーいいかなっと、本日の記述にしましたとサ。
(みんなとっくに知ってるワイ)

アクアラインGC

ファイル 299-1.jpg

ファイル 299-2.jpg

ファイル 299-3.jpg

この猛暑というのに・・・・

ゴルフに行ってまいりました。

「しょっちゅう行ってるじゃねーか」というカミサンの声も聞こえてきそーですが・・。

いつもプレーしている「新千葉カントリー」は早朝5:30くらいのスタート、しかもちゃんとキャディーさん付+スループレーなので、10:00くらいまでには終わってしまう。

つまりこの夏でも、陽(ひ)が高くなる前に家路につくワケなんだわさ。


今回は9:36スタート。
場所はアクアラインGC。ここでは初めてのプレーです。
アクアライン@¥800+木更津東までの¥300=計¥1100を払えば、我家からも70分くらい。(近い!!)


このコース、オールセルフ&カート。の現代的・アメリカ的な設定。
でもアチキにとっては初めてのコースだし、ショート以外、ほとんどのホールがティーグラウンドからピンが見えないトリッキーな設定。→一体ど~すんじゃ?

・・・・でもでもたいしたもんだ。

なんとカートにナビがついている。
噂には聞いたが初めての経験。

ホールロケーション。
本日のピンまでの距離。(とっても正確・・だがそのとおりに打てない)
少々前と開くと「ピンポー~ン:スムーズな進行にご協力をお願いします」・・かなんかを言い出す。
(誰か打つ直前でもおかまいなし・・なのは・・しょーがないか)
カートを走らせてれば・・「カーブに気をつけてください」とか「となりホールからの打ち込みに注意してください」など心憎いお知らせまでしてくれる。

そのうちプレイヤーの打ったボールナビまで備わるかも知れん。

「OBで~す」や「ラフに入っちゃったぁ」とか「そこじゃなくてもう少し右にあります」・・・なんてネ。(すんごい便利)


暑かった!

完全な土方焼けになってしまった。
そう、暑いお湯にウデだけ突っ込んで、数分後、ヌゥ~って抜き取って真っ赤になった感じ。(←これを言ったら、三男Aが冷ややかな笑いをしたので→カンチョーしてやった)

あの炎天下の中のプレーだと・・・
バテるな。カートなのに。


ゴルフ場を出たのは16:00になって。

アクアラインって、混むのね。
でも17:30には家に着くのだから、優秀なんだけど。

15日はまた早朝だ。

大泉寺・観音堂

ファイル 298-1.jpg

ファイル 298-2.jpg

実家には、

特に信仰はない。

アチキなんぞは、父の葬儀でうちの宗派を初めて知ったありさまダ。


ただ年2回くらいは、必ずお参りにいくお寺がある。


大泉寺・観音堂
http://lib.city.kashiwazaki.niigata.jp/hidamari/kashiwazaki/bunkazai/daisenji/kannondou/kannondou.html

私の両親が長男誕生のあと2人めに恵まれず、子宝の御利益のあるというこのお寺にいったそーな。
そしたら(めでたく?)アチキ誕生に至ったワケざます。

以来、家内安全祈願にみんなで訪れることにしている。


<アクセス>
新潟県柏崎市中心部から国道8号・海岸線(とってもキレイ、ただし夏は。冬はいつも猛吹雪)上越市方面へ、

米山大橋を越え(この橋の下、海岸べりの青海川駅は「TV高校教師」の最終回ロケ地)
上輪大橋も越え(・・んなこと言ったってワカんないよね)

こりゃまたキレイな海岸線(夏は)を左に、米山側に切れ上がり約200mまで登る。


画像1:本堂
月に2回くらい「護摩法要」をしてくださいます。木のお札に願いと住所・名前を書いて置いておきましょう。
¥300をお賽銭箱に入れるのを忘れないでね。

画像2:200mからの景色。
くびき平野を見下ろす。北陸道がとおり、さらに遠くには(天気がいい日には)妙高山が見える。
ちなみに(これも天気がよければ)国道8号線から遠くに「佐渡」をみることができます。

Y田監督

ファイル 297-1.jpg

アチキは、高校・大学と水球をやってました。

高校1年のオフ、長年我が高校を指導してきたU先生の県庁転任が決まり、後任として若いT山先生が(東京教育大・体操部出身)水球部顧問先生として転任してきた。

T山先生は「ハート的」には完璧の先生。

ただ1つ難点が・・・「泳げない」

もちろん水球も知らない。

インターハイと国体に生徒を引き連れた全国の先生のなかで、いや歴史上初めての「カナヅチ水球監督」になった。

それじゃ・・ってことで、T山先生と同時に、やはり我がOB、当時専修大学・水球部4年だったバリバリの現役・Y田さんに白羽の矢がたった。
大きな声・大きな目で厳しそーなY田さんは、Uターンし「市役所」に入るべく試験を受けるという。

当時も今も役所に入るのはチョー難関。

とっても恐そうだったので、我々部員一同の願いは・・・・「落ちてくれ」

そんな願いもむなしく、みごと入庁。
毎日5時15分から練習本番の毎日が始まったワケザンス。
(今でも5時を告げる市役所から流れるドボルザークの「家路」は・・・キライです)


その頃のわが高校チームは歴代最弱。
フィールド7人は、3年が2人・2年が3人・入り立ての1年が2人。
つまり1年はほぼ「敵」なので、常に5人で敵9人と試合してたよーなもの。

しかし数年後、T山先生とY田監督は、このチームを国体3位の強豪チームに育てあげる。
アチキの高校最後の試合の後、「今後このチームが強くなったとしたら、この苦しい時期をつないだお前たちのお陰だから・・・」と言っていただいたことは忘れられない。
つまり・・・数年後には「勝つ」つもりだったのだ。

その後もジュニアの育成にも、また水連を通じ水泳・水球のために、もちろん市制のために尽力してきた。(先の地震の時は、数日家に帰らなかったそうだ)

水連の中にあり、いつも
「子供たちが喜ぶなら・・・」
「子供たちのためにも・・・」が口癖だったそーだ。

アチキも進路に関しては両監督にはほーんとお世話になってしまった。
今考えても、なんでこんなに子供達のために真剣に親身になれるのだろうと・・。

奥さんと一緒になる時も、「オレは水球に育ててもらったので、これからは水球のために尽くす」・・・と告げたというのは本日、奥さんから初めて聞いた。

享年57歳。

何したって死にそうにない人だった。

Y田監督が育てた我々や、今現役の子供たち、ジュニアたち、みんな・みんな集まった。

この時代。ガンっていっても、治せるハズだ。
早期発見ならば。
残念でならない。

あそこまで他人や子供たちのために、真剣になれるだろうか。情熱をかたむけることがアチキにできるだろうか。

Y田監督に指導してもらったこと。卒業後、たまにプールに訪ねると・・・
「今日はカネの続く限り飲むんだからな」と言って喜んでくれた。
アチキにとって、すばらしい財産だ。


きっとこれからも、子供たちを天国から見守ってくれるに違いない。


今までありがとうございました。


合掌